夏のいつか

今日も今日とて海常高校の体育館からはボールの弾む音とスキール音が響いている。
そこはバスケ部専用館で、つまりはそういうことだ。
今年は例年以上に危なげなくIH出場を決めて、練習にも熱が入ろうというもの。

そんなある土曜のバスケ部レギュラー陣に一陣の風…波乱というべきものが訪れるとは。


丹心ブレッシング




毎度毎度うるさい黄瀬のファン軍団(もうそんなくくりでいい)を追い出し、練習を進めて数時間経ったころだろうか。
基礎練もみっちり、筋肉も温まった、そんなときだ。
次の指示を出すために部員を集めようとする笠松を後目に、森山がどこかあさっての方向に視線を向けている。
「…もっと頑張ったのに…!いやまだチャンスはある彼女のために俺は」
ぶつぶつ言いながらも闘志を燃やす森山に気付いたのは近くにいた小堀だったが、その視線の先を見て思わず遠くを見る。
すなわち、
「またか」
である。

視線の先にいたのは2階走路に女子が一人。
いつもいる黄瀬ファンと違い、はしゃぎもせず静かにコートを見下ろしている。
それが一人だからなのか必死で押し込めているのか、はたまた本当に黄瀬に興味がないのかは小堀には読み取れない。
「ジャージだしうちの子だよな。運動部なのかなどこの部かな」
「知るかよ。ほれ召集かかってんぞ」
「気になるぜ…!」
一応ゆるゆると移動しつつも森山の視線は彼女に一直線だ。
「オラてめーらおっせぇよ!!!」
そのうち笠松がしびれを切らしてしまうのも、まぁいつもの光景だ。
ハイハイ、と森山も戻っていった。

各ポジションの練習と並行してミニゲームをするらしい。
軽いチェックと確認をして散開していく部員たち。
めまぐるしく変わるミニゲームメンバーと他ポジとの攻防に、小堀も先ほどの女子のことを忘れていった。

の、だが――

ミニゲーム並行練習が始まってしばらくして。
この時のトリガーは黄瀬だった。
「ファンってはじまったときに全員外に出したッスよね?」
その内容に小堀もさっきの女子のことだろうと思い出す。
森山は思い出すでもなく、練習しながら手を振ろうか声をかけようかで迷っている。集中しろ。
「なんか…ファンとテンション違うってか、学内で見た覚えないんスけど」
「てめー女子全員みたことあんのか。全員ファンとかいったらシバくぞ」
「ええっ?!シバくとか笠松センパイじゃあるまいしやめて欲しッスけど!!それにそんなこと思っても言ってもないっス!?」
そんなワイワイ言ってたら笠松も気づくわけで…

「てめぇらまとめて外周行ってくるか…?」
「すんまっせん!!」(黄瀬反応はや!)
「あと森山集中しろ!」
「めっちゃ集中してるぜー女の子のために!」
「うるせぇ!!!」
漫才じみたやり取りはコート内はおろか体育館中に聞こえるものだ。
一番にその変化に気付いたのは意外と目ざとい黄瀬だった。
走路の彼女がくっくと笑っている。先ほどまで姿全体をぼんやり見るだけで、ジャージでうちの生徒だと思っていたのだが…

「あれ?…あ」
見覚えがないはずだ、"学内では"絶対見られない顔じゃないか

「センパーイ」
「んだよ外周イヤならさっさと戻って腰入れて練習しろ」
「(うえ、上)」
思い当った黄瀬が上を指している。なぜか小声だ。(様式美ッスよ!とは黄瀬の談だ)
「上だ?上ってなにも……ぁあ?!?!」
嫌そうに指す方を見た笠松は目を剥かんばかりに驚愕の表情にかわる。
この分だと人がいたことすら気づいてなかったかもしれない。
「あれ、っちスよねぇ…?」
「なにっ、黄瀬、笠松お前らあの子と知り合いか!?」
「一応そッスかね……笠松センパイ?」
「なん、なんでアイツここに…てかジャージなんでだよ?!」
笠松に森山の言はもう届いていないらしい。

何を隠そう走路にいたのはだ。
堂々と、なぜか海常の指定ジャージで練習を見ていた。黄瀬と笠松が気付いたことに小さく手まで振っているではないか。
「黄瀬はともかく、なんで女の子限定コミュ障笠松が女の子と知り合いなんだ!!」
「コミュ障っていうな!!!ちょっとアイツに問いただしてくる…」
さすがにコミュ障発言は流すことができなかったらしい。
「おまえらは練習に戻れよ!」
釘をさすことも忘れなかった。

「そういえば俺新入生が入ってくるたびに女の子チェックしてるけど、あんな女の子見たことないな」
「当たり前ッス。っちは誠凛生ッスよ」
「はぁ?!」


さて、わずかに所変わって走路である。
体育館の壁に沿って設けられたスペース、その手すりに寄りかかる人影はひとつ。
「伏見…どうしてウチにいんだ」
「後輩に呼ばれまして」
コートの様子を逐一見ていた故に来ることは分かっていただろう、は態勢を正し、笠松に体ごと向き直って笑顔を見せる。
中学時代の後輩が陸上部にいて、それに会いに来たとは言う。
「呼ばれたのにここでバスケ見てていいのか?」
「もう会いましたもん。ここにいたのはゆき先輩の顔が見たかったからですねー」
「…お前恥ずかしげもなくよくそんなこと言えるな…」
「おやぁ?先輩照れてる〜?」
「見んなっつの。それはそうとなんで海常のジャージ着てんだよ。指定ジャージなんて簡単に手にはいんねーだろ」
さらりとから飛び出した発言には薄く耳を赤くした笠松。それを覗き込むは…無邪気なようで悪女のようでもある。
覗きこんだの額をぺちりと間抜けな音を立てて叩いて制す。
あたっと大げさに肩をすくめて見せるもじゃれあいとわかっていて痛くもないのだろう、口元が締まりきらない。

内容だけ見ると笠松が邪険にしているようにもとれるが、実際のところそうでもない。
むしろ逆に楽しそうな様子すらある。

「グラウンドに辿りついたはいいんですけど、陸上部の子たちがちょうど水場ではしゃいでて…」
小学生の男子のように蛇口を塞いだ勢いで周りに撒いていたところに、頭から巻き込まれたらしい。
おかげで制服が全部濡れちゃって、とはあっけらかんと苦笑している。
「ジャージはその後輩の体育ジャージですよ。彼女は部活ユニとか練習着があるそうで」
「なるほど。それでその格好か…目玉飛び出るかと思ったわ」
全部濡れて、で何を想像したか一瞬固まった笠松だったが、さすが笠松である。しっかり自制する。
かすかな硬直には気づかない。
「で、乾かしてる間ジャージなのをいいことに構内散策を!」
「散策っつーか完全にここロックオンしてるじゃねーか」
「てへぺろー」
図星はしらんぷりかこの野郎。
なかなか図太い性格をしている。知ってた。

ところで笠松にとって気になることが一つ。

「おまえなんで敬語なんだ」
「一応他校の上に教師がいるので」
「知り合い同士の会話で監督が気にするかよ。黄瀬だって…あいつは砕けすぎだけど」
「黄瀬くんはだって同校同部の後輩じゃないですか。他校生は肩身が狭いのです」
は言いながら眼下のコートに目をやる。ちょうど黄瀬がシュートを決めたところだ。
彼女に気付いて手を振っている。黄瀬の行動に気付いた森山も振る。
二人に手を振り返して再び目線を笠松に。

「お前が言うか?」
「的確なツッコミをありがとう先輩!!」
相変わらず容赦ないッスーなんて黄瀬のマネもして。
「ガッコ出たら直しまーす。ほらほら先輩そろそろ戻りましょー」
「おいコラ押すな押すな!」
まぁまぁと笠松の背をおして階段へ向かう。
階段の先は短い通路、そこを抜けるとすぐコートだ。

「それじゃあ笠松先輩、またあとで」
「もういくのか?」
「まだ見てますよー。先輩もそろそろ合流しないとでしょ?…怪我はしないでくださいよ」
「言われなくとも。あ、そうだ帰りちょっと待ってろよ」
はい?と返した時には笠松はすでに背中を向けていた。
コートの中へ戻ってすぐ森山に絡まれているようだ。
なにを問い詰められていることやら。
黄瀬に流れ弾が飛ぶのを横目に、は走路に戻っていく。後半も暑くなりそうだ。



さて場面は終了時間まで跳ぶ。
長くなった日も地平の奥に消え、薄暮というにも終わりに近い。
バスケ部員が掃けた後、は降りて来ていた。
あの笠松に待ってろと言われたからには律義に待つしかあるまい。
昼の天気のおかげで、練習中の機を見て着替えた自分の制服も乾ききっている。

しまいそこねたらしいバスケットボールをダン、と一突き。
静かな体育館にやたらと響いて、妙にいけないことをしている気分。
バッシュも内履きですら掃いていない足元であるから、彼らのように切り返しの早い動きはできない。
むしろ靴があったところでそんなプレーはできない。こちとら体育バスケがせいぜいなのだよ!
そんな自棄を脳内で散らし、すでに格納されているゴール目がけて投げる。フォームは片手での下手投げに近く、
女子平均より少し上程度の掌サイズのにはバランスが悪い。
持つだけならそれでいいが、投げるにはどう見てもアウトだ。

が、ボールは危なっかしくもネットをくぐった。

「…お前いまどうやって投げた?」
てんてんと転がっていくボールを取りに行こうとしたらいつの間にか扉口に笠松がいた。
適当な投球を見られていたらしい。勝手に遊んでいたことに叱られるかとも思っていたにとっては肩透かしな質問だ。

「普通に…こう、」
ボールはゴールしたをころころと転がっている。
空手でさっきと同じように手を振る。背後から下弦の弧を描くように頭上まで。
眉根にしわを寄せて考え込んでしまった。

話の内容にこだわりはないが、でも目の前で考え込まれるとちょっとさみしいと思ってしまう。
拗ねたはボールをさっさと回収し、下級生たちのマネをして片づけてみた。笠松の前に戻ってきても様子は継続していた。

…この二人、薄々感づいているだろうが想いを通わせあっている。所謂恋人同士というものである。
だからこそ笠松がぎこちなくとも女子相手に他と変わらず接することができるわけでもあるが。

先ほどよりも近い位置に帰って覗きこんでみる。
「…そろそろ放置はさみしいなぁ」
「おう」
視線は合わない。
「…そっち行っても?」
「おう」
近づけばまだぎくしゃくするくせに。
「……そんな無防備だと奪っちゃうぞ」
「おう……おう?」
さすがに気付いたらしい。
触れられれば当然だろう、今の二人の態勢を言うなら身長差を埋めるためにが身を乗り出し、笠松の肩から胸にかけて手をかけているのだ。

はやる気だ

何を奪うのかとか野暮な質問はどっかへ飛んで行った。
この状況では一目瞭然ではないか。


、」 一瞬で沸騰した頭をなんとか叩き起して、軽く背を曲げる。男を見せろ、俺!
まだ、慣れない。が嫌いではない。

体育館の白い照明だけが二人の影を浮かび上がらせていた。





体育館の中心で声なき愛を叫んだ獣





「誰かに見られてたらどうするつもりだったん?」
「全員帰した後だってわかりきってるからな」
「わーいキョドってたのに確信犯〜」
「お前がやりだしたことだろ」


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